拝啓、何者にもなれぬ自分へ

結局己は己にしかなれんよ。旅行と食べることと寝ることとゲームが好きなド怠惰人類が綴る

時折、幸せだからこそ終わってしまいたくなる希死念慮が剝き出しになる

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

大人になれば、本当の自分が少しは見つかっているのだと、小さい頃の私はこの漠然とした不安を期待で塗りつぶすことが多かった。

 

旅行好きな両親に育てられた私は、幼い頃から国内海外問わず様々な場所へ連れて行ってもらった。これが世間では普通なのだと思っていた私は、父の年収が富裕層に該当するものだと気付いたのも、かなり遅かったと思う。よく考えれば、長期の休みには必ずどこかへ行って、海外旅行に一年に一回行く家族は周りにあまりいない。母から親しい子以外には話さないようにと言われていた意味が、今ではよく分かる。

 

興味があることにはとことん労力を費やすタイプだったため、勉強は特別苦手ではなかった。文系科目の偏差値が理数科目の倍あるという、なんとも極端な成績ではあったが(後にADHDと診断されて納得した)。おかげでトップクラスには通えないものの、中堅より少し上の、進学校と呼ばれる高校に通った。

 

将来どんな職に就きたいか、というものに対して、成績のこともあり理数科目が必要な仕事は避けたかった。そして好きなことでなければ真面目に取り組めないと考え、観光関係について学べる大学に通った。英語を昔から習っていたこともあり、海外での生活に憧れていた私は、協定留学の制度で日本を離れることになる。留学先での学費は自分で払ったが、日本の大学の学費はすべて両親が払ってくれた。

 

就活は6社ほど受けて1社から内定。旅行代理店だった。激務だったがやりがいはあり、上司も先輩も切磋琢磨して働いている営業所に、とても愛着を持った。今思えば、あれほど仕事場を愛せたのは最初のこの会社だけだったかもしれない。結局、一年ほど経過した後に営業所は潰れた。業績のいい支店だったが、社長の理念上の問題だった。受け入れようと思ったものの、この会社に貢献することが嫌になってしまった私は、次の営業所でしばらく働いた後に辞めることとなった。

 

その後、やはり観光関係の仕事は続けたいと思い、別の業種をアルバイトで数年下積みを行うことにした。業務は楽しかったが、お金はあまり貯まらなかった。そろそろ職を変えようかと思った矢先、経営不振でアルバイトの業務がなくなり、クビになった。年数も積んだし、このまま正社員を目指してみようと思い立った私は、とりあえず最初に大手から順番に受けていくことにした。

 

結果、採用された。アルバイトでの下積み経験と面接が好印象だったらしい。とてもありがたいことだった。それまで窓口や雑用係を主に働いてきた私は、初めてオフィスで本格的に働くことに不安はあったものの、期待の方が何倍も大きかった。親の脛をかじってふわふわと生きてきたが、ここに来てようやく、頑張りたいと思える時が来たのだと。

 

そして、予想外のところで壁に初めてぶつかることになった。

 

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言により、会社に行けなくなってしまった。業務は自宅でも行えるものだったため、在宅での仕事が推奨された。しかし、観光関係の業務だったため仕事が極端に減った。その中で新人に任せられるものなどたかがしれている。業務で不明な点を先輩や上司に積極的に聞いていたのが、レスポンスに時間がかかると申し訳なくなってしまい連絡を取る回数が減った。たまに会社へ出社し、基本は家に引きこもって仕事をしている。今のご時世、正しい姿ではあるのだろう。

 

営業所全体の人数は、部署移動や人員削減でかなりの人が去った。まだこうしてデスクにしがみついているが、おそらく次の対象は私だろうなという予感もある。その宣告をされる前に、まだこの場にいる前に、終わってしまえば楽なんじゃないかと、ふとしたタイミングで頭に浮かんでくるのだ。

 

もう十分やった。望む職種に就いて好きなことをして、これ以上何を欲するのだと。

 

この気持ちは、今までもずっと抱えていた。旅行会社の激務に押し潰されていた頃も、下積みのつらい時も、大手に入ってお荷物となってしまっている今も。宙ぶらりんな状態だが、それでも今までの環境も含めて私は甘やかされて育ってきている。金銭で家族が困ったこともなく、好きなことを仕事にして、給料がもらえるだけでもありがたい時代だ。

 

それでも私は、今の私がかつて期待していた"本当の自分"なのだろうかと、時折選んできた道さえもぐちゃぐちゃにして、何もかも捨ててしまいたくなる衝動に駆られる。

 

幸せだからこそ今ここで終わりにしておきたい。ここから落ちる様が現実になるところを見たくない。

 

多分、そういった感情を抱えた人は、私のほかにもいるのだろう。

 

結局、"本当の自分"なんてものはなく。それを探し続けるのが大人であり人生なんだろう。その答えはきっと、死ぬ時に分かる気がする。まだまだ甘ちゃんの私は、年齢的にはいい大人だ。それでも、胸を張って「大人になった」なんて言えやしない。

 

来年、私はこのお題についてどう答えられるのか。少しでも自分で納得できる人生に変えたい私は、「今終われば楽になるよ」という己の囁きに、今日も抗っている。